仕事に効くコンピュータサイエンス
業務の棚卸し — デッドコードと技術的負債読了目安 10分

棚卸しを習慣にする — 次は「依頼の型」を決める

棚卸しは、1回やれば終わるという性質のものではありません。やめても、また少しずつ地層は積み上がっていきます。組織にいる限り、新しい担当者は来続けますし、新しい例外もその都度発生し続けるからです。だからこそ、1回の大掃除ではなく、続けられる仕組みとして考える必要があります。では、この章で見てきた考え方を、一時的な取り組みで終わらせず、組織に根づかせるには何が必要でしょうか。答えの手がかりは、4つの考え方それぞれが担っていた役割を、あらためて整理し直すことにあります。

4つの考え方を振り返る

この章では、業務の棚卸しに関わる4つの考え方を見てきました。どれも、動いているものに手を入れる不安をどう乗り越えるか、という共通の問いに対する、それぞれ違う角度からの答えでした。

デッドコード削除は、動いてはいるが結果には何も影響しない資料や手順を見つけて手放す考え方でした。エラーが出ないぶん気づかれにくく、「作ることは評価されるが、やめる判断は評価されにくい」という非対称性が、放置の原因になっていました。見分ける手がかりは、印象ではなく利用実績です。最終アクセス日時、開封状況、直近の議事録での扱われ方など、記録に基づいて確認する一手間が、安全な削除を可能にします。消す前には「低頻度アクセス」の可能性を疑い、決算期や監査のときだけ使う資料を誤って削除しないよう注意する必要もありました。

リファクタリングは、最終的な結果を変えずに、そこに至る手順や様式だけを整理し直す技術でした。鍵になるのは「何を変えないか」を先に決めておくことです。結果が変わっていないかを確認する手段を用意し、小さな範囲で1つずつ手を入れ、その都度確認しながら進めることで、安心して業務の中身に手を加えられるようになります。複数のExcelへの転記を1つの入力フォームにまとめる、ばらばらだった議事録の様式を統一する、実質的な確認をしていない承認者の順番を組み替える。どの場面でも、最終的な結果は変わらないまま、そこに至るまでの手間だけが減っていました。

技術的負債は、今の効率を優先して先送りにした整理には、あとで利子がついて返ってくるという考え方でした。負債そのものは悪ではなく、意図的に選ぶこともあります。問題は、借りたことを忘れたまま返済の計画を持たずに放置することです。利子は複利的に効いてくるため、早い段階で、かつ利子の高い箇所から優先して返済に着手することが、総額を小さく抑える鍵になります。「今回だけ手作業で」という例外対応が、担当者が入れ替わるうちに理由の分からない習慣として固定化してしまう場面は、多くの職場に心当たりがあるはずです。負債を作った人を責めるのではなく、意図的な簡略化として明示し、返済の計画を残しておく文化のほうが、組織全体としては健全でした。

ボーイスカウトルールは、大掛かりな計画を立てずに、日々の作業のついでに少しずつ整理していく習慣でした。新しく時間を確保する必要がないため、続けやすいという特徴があります。1人の小さな心がけが、周囲にも伝わり、チーム全体の文化になっていく点も見てきました。「割れ窓理論」が示すように、雑然とした部分を放置すれば荒廃が広がり、逆に少しずつ整えられていれば丁寧な扱いが広がっていきます。ボーイスカウトルールは、この方向性を選び取るための、日々の小さな行動でした。

4つがひとつながりになる理由

これら4つは、単独の技法ではなく、ひとつながりの流れとして機能します。まず、デッドコード削除によって「もう要らないもの」を手放します。次に、残ったものをリファクタリングによって、結果を変えずに整理し直します。技術的負債という視点は、この2つのどちらを、どの順番で、どれくらい優先して行うかを決めるための判断材料になります。そして、ボーイスカウトルールは、この一連の流れを一度きりの特別な作業にせず、日常の中で継続させるための仕組みです。4つのうちどれか1つだけを実行しても、効果は限定的です。消すだけでは残ったものが整理されず、整理するだけでは優先順位が付かず、優先順位だけ分かっても継続する仕組みがなければ、また地層は積み上がります。逆に、この4つがそろって初めて、棚卸しは一過性のイベントではなく、組織の習慣として定着していきます。

この流れを別の言い方で整理すると、次のようになります。「手放す」「整える」「優先する」「続ける」。どれも特別な専門知識を必要とせず、判断の順番と、それぞれの段階で何を確認すべきかを知っているだけで実践できます。むしろ難しいのは技術面よりも、最初の一歩を誰が踏み出すか、という点にあります。誰かが指示してくれるのを待っていると、いつまでも地層は積み上がったままです。整理を始めるには、多少なりとも「今のやり方を疑う」という姿勢が必要で、これは周囲からは煙たがられることもあります。だからこそ、最初は自分の裁量が及ぶ範囲、つまり他人の合意を必要としない部分から始めるのが安全です。小さな範囲であっても、実際に「手放す・整える・優先する・続ける」の一巡を経験しておくと、次に他部署を巻き込む場面でも、何を確認すればよいかが具体的にイメージできるようになります。

今週から始めるには

大きな計画から始める必要はありません。まずは、自分が主催する会議や、自分が作成している資料など、自分の裁量で完結する範囲から始めるのが現実的です。対象を選ぶときは、日頃から「なんとなく面倒だ」と感じているものを選ぶとよいでしょう。その感覚こそが、地層が積もっている場所を示す、一番の手がかりだからです。逆に、快適に回っている業務を無理に整理する必要はありません。最初の一歩は、利用実績を確認することです。「これは今も必要か」を、記録に基づいて、あるいは受け取り手に直接尋ねて確認します。確認の結果、不要だと分かったものはデッドコードとして手放し、必要だが分かりにくいものはリファクタリングの対象として整理します。整理の途中で見つかった「今回だけ」のつもりの応急処置には、返済の計画を書き添えておきます。すぐに返せなくてもかまいません。「これは負債である」と認識し、記録しておくだけでも、忘れ去られて拡大再生産されるという最悪の事態は避けられます。記録さえ残っていれば、余裕ができたときに、誰でもそこから返済を再開できます。そして、次に何かの作業でその資料や手順に触れたときには、ボーイスカウトルールに従って、気づいた小さな点を1つだけ直してから離れます。この一連の流れを、他人を巻き込まずに自分の範囲だけで一度やり切ってみることが、次に範囲を広げるときの自信になります。

範囲を広げる段階になったら、他部署が関わる整理には、必ず着手前の確認を挟みます。「今のやり方の中で、意外と役に立っている部分はないか」を、相手に率直に尋ねる一手間です。表面上は無駄に見える手間が、実は別の目的のために使われていることもあるからです。また、他者にとっての整理は、こちらが思うほど歓迎されないこともあります。「この資料が要らない」ではなく「この形式は今の目的に合わなくなっている」という伝え方に変えるだけで、受け止められ方は大きく変わります。急がず、小さな成功を積み重ねながら、少しずつ範囲を広げていく姿勢が、結局は一番早く組織全体に浸透します。焦って一気に広げようとすると、かえって反発を招き、次の機会が遠のいてしまいます。

進み具合をどう確かめるか

棚卸しがうまく進んでいるかどうかを確かめる方法は、意外と単純です。新しく着任した人に「この手順、分かりやすかったですか」と尋ねてみることです。説明のいらない資料や手順が増えていれば、棚卸しは着実に効果を上げています。逆に、毎回「これはこういう理由があって」という補足説明が必要な状態が続いているなら、まだ地層は厚いままだということになります。数字で管理しようとする必要はありません。新しい人が迷わず動けるかどうかが、何よりも分かりやすい指標です。もう1つの手がかりは、自分自身が「これ、なんでこうなっているんだっけ」と首をかしげる回数です。この回数が減ってきたなら、それは棚卸しが実際に効いている証拠です。逆に、同じ疑問を何度も自分に問いかけているなら、そこにはまだ手つかずの負債が残っています。その疑問こそが、次に手をつけるべき場所を教えてくれる、一番身近なサインです。

この章の限界と、次章への橋

この章で扱った4つの考え方は、いずれも「自分たちの内部の仕事の中身を、どう整理するか」に焦点を当てたものでした。しかし、仕事は自分たちの中だけで完結するわけではありません。資料は誰かに読まれ、依頼は誰かから届き、報告は誰かに向けて出されます。どれだけ内部を整理しても、他者とのやり取りの受け渡し方そのものが乱雑であれば、そこで新たな混乱が生まれます。次の章では、視点を「自分たちの仕事の中身をどう整理するか」から「他者とのやり取りをどう設計するか」に移します。第10章のテーマは、インターフェースとプロトコルです。依頼の受け取り方や、会議・報告の形式を、あらかじめ決まった「型」として設計するという考え方を見ていきます。今回棚卸しをして整えた業務を、次にどう他部署や他者へ受け渡すか。その入り口として、次の章を読み進めてください。

たとえば、この章で見た「口頭伝承のままの手順」という技術的負債の例を思い出してください。文書化されていないことそのものが問題でしたが、では文書化さえすれば十分かというと、それだけでは終わりません。その文書を誰が、どんな形式で、いつ受け取るのかという「受け渡しの型」が整っていなければ、せっかく整理した内容も、また別の形で誤解や手戻りを生みます。内部の整理と、外部との受け渡しの設計は、どちらか一方だけでは完結しない、対になる作業なのです。片方だけを丁寧にやっても、もう片方が乱雑なままでは、せっかくの手間が十分に報われません。次章では、この対になるもう半分に光を当てていきます。

持ち帰り

  • デッドコード削除・リファクタリング・技術的負債・ボーイスカウトルールは、それぞれ役割が異なるひとつながりの考え方である
  • 大きな計画からではなく、自分の裁量で完結する範囲から棚卸しを始めるのが現実的である
  • 次章では、内部の整理から一歩進み、他者との依頼・報告のやり取りをどう設計するかを扱う

やってみる

この章の5ページ分の「やってみる」を見返し、まだ試していないものを1つ選んで、今週中に実行してみましょう。